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ビタミンB1不足が引き起こす脚気。戦時中に多くの死者を出した勘違いのパンデミック
国民病と呼ばれ、多くの死者を出した脚気 脚気は足の病気で中国でも3~4世紀ごろ、日本でも平安時代には発見されていた病気です。症状が深刻化すると死に至る病気で、当時は伝染病だと言われていました。季節は夏に多く、若い男性に発病することが多いため、乱世の時代に首脳陣は頭を悩ませていたようです。 症状は疲れやすくなり、足が麻痺、神経痛が出始め、浮腫が出ます。症状が進行すると脈が速くなり心不全で死に至ります。 ご褒美と引き換えに病気になる「江戸患い」 江戸時代には参勤交代という制度がありました。江戸幕府は「ほど良い貧乏状態」が平和を招くとわかっていたので、地方から反旗を翻すことがないよう、コストがかかる江戸幕府までの出向を命じていました。 この江戸幕府滞在中に、侍が脚気になって帰ってくるところから「江戸患い」と呼ばれていました。ちなみに徳川家も脚気を患いに死に至っている将軍がいて、明治天皇も治りましたが、脚気になっています。 日清戦争と日露戦争で多くの死者を出した原因は脚気 脚気の原因は銀シャリ(白米)でした。当時は伝染病だと考えられたため、まさか国民の御馳走が病気を引き起こしているなどどは考えられなかったようです。明治時代に入っても毎年1万人前後死者を出していたため、結核と並んで恐れられていました。 日清戦争と日露戦争では成果を上げますが、数多くの戦死者を出しています。日清戦争は戦死者977人に対し、脚気患者は3万人、死者は1860人。日露戦争は戦死者が約4万6000人に対し、脚気患者は約25万人、死者は2万7000人という凄まじい数でした。日清戦争に限れば戦死者よりも脚気で亡くなった人数が上回っています。 海軍は高木兼寛に対策を当たらせ、白米が原因であることを発見しました。そこで海軍はパンや肉食の西洋食に変更します。明治天皇や伊藤博文もこれに倣い、脚気予防に効果を出していきました。しかし陸軍は感染症説を頑なに変えず、前述の通り悲惨な結果を出すことに繋がります。 ビタミンB1を食べることで予防になる 白米ばかりを食べることで引き起こされる脚気ですが、対策はビタミンB1を摂取することで予防できます。ビタミンB1は豚肉や大豆に含まれます。当時は豚肉を食べる習慣が日本人にはなかったので、白米が国民病を引き起こす原因となっていました。また若い世代の男性はエネルギー生産量が多いため、細胞のエネルギー生産に関わるビタミンB1が不足することが原因で脚気が多発しました。エネルギー生産量が、女性より男性が多いことが、性別にも差が出ていた要因です。 現代では様々な食事が取れますが、炭水化物ばかりを食べていると、「脚気なりかけの状態」になりかねません。白米はどこに行っても出てくるので、食べない選択は難しいかもしれませんが、ちょうどよく栄養を取れるように考える必要があります。