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NEWS LETTER Vol.032 ヨガインストラクター MIKAさん - HAPIVERI

NEWS LETTER Vol.032 ヨガインストラクター MIKAさん

時代に挑戦する者達 このコーナーでは、困難な時代において、しがらみにとらわれず新しい試みに挑戦する人たちがいます。時代を読み、自分の信じる道へ邁進する人たちに迫ります。   「山とヨガのリトリート」主宰 ヨガインストラクター MIKAさん 第1回「本来の穏やかな自分であり続ける、パーマカルチャーの暮らしのそばに」 東京から車で約2時間ほど離れた自然豊かな山梨県北杜市。都心からの移住者も多く、中でも山登りを趣味とした人々に人気のエリアです。この素晴らしい景観の中でヨガとパーマカルチャーと呼ばれる自然のエコシステムを取り入れた農業活動を進めているMIKAさんにご登場いただきました。 【「山とヨガのリトリート」主宰 ヨガインストラクター MIKAさん 1/4】 ▼幼少期から持っていた好きなものに対する強い探究心 ――簡単な生い立ちを教えてください。ご出身はどちらになりますか? MIKA:出身は仙台です。大学院を卒業してから仕事で東京にも来るようになりましたが、大学院を卒業するまではずっと仙台で過ごしていました。 家族は父、母、兄と双子の妹の3人兄妹で、小さい頃から家族で山に登ったり、外でキャンプをしたりと、結構アウトドアが好きな家族だったと思います。 両親が趣味でテニスをしていたこともあり、兄や自分たちも中学生のときからテニスを始めて、家族でもよくテニスをしましたし、双子の妹とはペアを組んで試合に出たりもしていました。 ――では運動が好きで結構活発なタイプだったのでしょうか? MIKA:そうですね。小学生のときは基本的に外で遊ぶことが多くて、休み時間も教室の中で本を読んでいるというよりはジャングルジムに上って氷鬼なんかをして、外で遊び回っているような子どもでしたね。 中学生のときはテニスの強豪校だったこともあって、勉強は二の次でずっとテニスに夢中だったのですが、高校生になってからは行きたい大学が見つかったこともあり、大学受験合格を目指してひたすら勉強に打ち込んでいました。 中学生のときとは打って変わって授業が終わったらすぐ図書館に行って、また勉強するみたいな高校生活を過ごしました。 ――具体的に学びたい分野が見つかって、そこを目標に受験勉強も頑張れたということでしょうか。 MIKA:大学で特に学びたい専門分野があったというわけではなかったんですけど、単純に食べることが好きで、食に繋がる農学部がその大学にあったので、農学部を専攻しようと思って頑張って勉強していました。 ▼食が生み出される農に魅力を感じた ――「食べる」というカテゴリの中で、農業という道を選ばれたのはなぜですか? MIKA:食べることって日本に限らず、世界中のどこにいても絶対に生きるうえで大切なことですよね。自分も食べることが好きだったのですが、何か作ることというよりも食が生み出されるところを勉強したいなと思ったのが、農学部を選択した理由です。 あと高校生のときに生物に魅力を感じていて、科目としても生物がすごく好きだったんです。 バスの中でずっと生物の資料集を見ているぐらい好きで、そのときに大豆の根にある根粒菌の働きで空気中の窒素を取り入れるみたいなページを見て、その仕組みが面白いなってすごく思ったんです。 元々わからないことをわからないままにするのがすごく嫌で、知りたいと思ったらどこまでも答えを求めちゃう性格なんです。 生物に関しても自分が疑問に思ったことを学校の生物の先生に質問しても「わからない」って言われて、直接大学の教授にこうすれば、酵素の活性がもっと上がるんじゃないですか?みたいな手紙を書いて直接お話できる機会をいただいたりもしました。 結果的にそこが私の母校の大学になるんですけど、そのお話の場も単純にすごく面白くて、もっと深く勉強がしたいなと感じたのも、農学部を選んだきっかけの一つです。 ――すごく行動力のある高校生だったんですね。大学では農学部に入って具体的にどんなことを学ばれたんですか? MIKA:農学はもちろんですが、それだけではなく栄養のことや化学も勉強しましたし、大学院では機能性食品の研究などもしていました。 ただ入ったものの高校生のときほど熱心に勉強に励んでいたかというとそういうわけでもなく、大学の外の世界であるアルバイトや旅に出ることに燃えていて、勉学よりは社会勉強の方に勤しんでいたかもしれないです。 ▼世界一周の旅で見えてきたもの...

NEWS LETTER Vol.028 ヴィーガンレストランAIN SOPH. 代表 白井 由紀 氏 - HAPIVERI

NEWS LETTER Vol.028 ヴィーガンレストランAIN SOPH. 代表 白井 由紀 氏

■ 時代に挑戦する者達 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: このコーナーでは、困難な時代において、しがらみにとらわれず新しい試みに挑戦する人たちがいます。時代を読み、自分の信じる道へ邁進する人たちに迫ります。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ヴィーガンレストランAIN SOPH. 代表 白井 由紀 氏 第1回「本来の自分に戻る」AIN SOPH.が誕生した背景とは」 銀座の街角に細長いユニークな形をしたビルでヴィーガンレストランを営むAIN SOPH. 。この当時は非常に珍しかったヴィーガンレストランをこの場所で開業し、現在では複数の店舗を経営する代表の白井由紀氏。バイタリティ溢れる、その生い立ちについてお伺いしました。 【ヴィーガンレストランAIN SOPH. 代表 白井 由紀 氏 1/4】 ▼三姉妹の末っ子という立場は幸運なことが多かった ――お生まれと簡単な生い立ちを教えてください。 白井:千葉県の松戸市で生まれて市川で育ちました。 父はアパレルに携わる会社でサラリーマンとして働いていたんですけど、私が大学生の時にリストラになったことがきっかけで独立して、ジバイシイやランバンなど、海外のブランドを国内で展開するライセンスビジネスの仕事を20年以上しています。 母はずっと専業主婦だったんですけど、父がクビになったこともあって、老人ホームでヘルパーとして働きだして、初めての仕事だったのにあっという間に施設長になって、その後は独立して訪問介護の施設運営を始めました。 今は姉がその介護周りの仕事を引き継いでいますが、母自身は子どもの放課後保育のNPOをやっています。 82歳で朝起きて支度をしてという生活をしていて、体力も落ちるし大変なのに、本当に凄いなと思います。 ――ご兄弟はいらっしゃいますか?...

NEWS LETTER Vol.023 二天一流総本店 代表取締役 井上正生氏 - HAPIVERI

NEWS LETTER Vol.023 二天一流総本店 代表取締役 井上正生氏

■ 時代に挑戦する者達 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: このコーナーでは、困難な時代において、しがらみにとらわれず新しい試みに挑戦する人たちがいます。時代を読み、自分の信じる道へ邁進する人たちに迫ります。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 二天一流総本店 代表取締役 井上正生氏 第1回「機能性もデザイン性も妥協しない、世界に一つのオーダーシューズ」   千葉県北西部に位置する下総中山駅。この下総とは千葉県北部と茨城県西部に跨る領域を旧国名と呼んでいたことが由来となっています。この由緒ある地域にオーダーシューズを営む二天一流総本店というお店があります。顧客の足を計測し、その顧客に合わせた革靴を製造販売している井上正生氏に、ご自身の成り立ちをお伺いしました。 【二天一流総本店 代表 井上正生氏 1/5 】 ▼子どもながら肌で感じた資本主義社会 ――お生まれはどちらですか?故郷の印象も教えてください。 井上:このお店もある千葉県の船橋市です。 昔は空き地が多くて本当に田舎町というか、森林も多かったり、カブトムシやクワガタが捕れたり、沼地があってザリガニを取ったり、そんなイメージだったんですが、今は完全にベッドタウンですね。 東京も30分ぐらいで行けるので、ある程度自然もあるし、住宅として構えるにはいい街なんじゃないかと思います。 ――幼少期はどんなふうに過ごしていましたか? 井上:父はゼネコン勤めで、石油プラントを作ったり、ビルの空調を整えたりするセールスマンで、私が小学校6年生の時までクウェートに単身赴任をしていました。 母も県庁で公務員として夜遅くまで仕事をしていたので、家ではほぼ私一人だったのですが、友達の家で夕飯をご一緒させていただいたり、ほとんど外で遊び回っていた記憶があります。 当時、我が家ではお小遣い制度がなくて、みんながファミコンや駄菓子を買うのを見ているとやっぱり僕も欲しくて、カブトムシやザリガニを捕って、公園で売って何とか生計を立てていました(笑)。 ――すごい話ですね。どうしてその商売を思いついたんですか? 井上:土地柄なのか、子どもの頃から資本主義のような感覚はすごくあって、やっぱり地主の百姓のお子さんは大きな家で自分の部屋もあってお金も持っていたし、最初に流行りものを買えるといった印象が強くありました。 でも住んでいる場所としては都会の方なので、カブトムシやクワガタはいないんですよね。 その中で自分の捕ったカブトムシやザリガニを小学校に持っていくと、すごく脚光を浴びたんです。 僕も欲しいなって羨ましがられた時に、これを売ったらいいじゃんと思って、1匹100円とか50円で販売していました。 ――小学生の時はどんなことが得意でしたか? 井上:勉強はあまり得意な方ではなかったですね。 塾にも通っていましたが、ほとんど行くと言いながらサボっていました(笑) でも物を作ることは好きで、図工で賞を取ったりしたこともありました。 中学1年生の時からバスケットをずっとやっていて、社会人になっても続けていました。...

NEWS LETTER Vol.020 株式会社ヤマニ味噌 専務取締役 藤川茂氏 - HAPIVERI

NEWS LETTER Vol.020 株式会社ヤマニ味噌 専務取締役 藤川茂氏

千葉県佐倉市で明治20年から続くお味噌屋さん「株式会社ヤマニ味噌」の専務取締役 藤川茂氏にお話を伺いました。祖父が先代社長、父が現社長を務めるお味噌屋の家系に生まれ育った藤川茂氏。当初はお店を継ぐことは全く考えておらず、千葉県を離れ、別の道に進みましたが、故郷に戻り、約20年味噌作りに携わっています。幼いころから長きに渡って株式会社ヤマニ味噌を間近で見てきた藤川茂氏に、株式会社ヤマニ味噌の歴史や味噌作りのこだわりなどをお伺いしました。

NEWS LETTER Vol.017 株式会社マゼンタース 宮本雅世氏 - HAPIVERI

NEWS LETTER Vol.017 株式会社マゼンタース 宮本雅世氏

■ 時代に挑戦する者達 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::このコーナーでは、困難な時代において、しがらみにとらわれず新しい試みに挑戦する人たちがいます。時代を読み、自分の信じる道へ邁進する人たちに迫ります。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::   株式会社マゼンタース 宮本雅世氏 第1回「グルテンフリーのお店が誕生するまで」 今回訪れたのは、千葉県の鎌取町という住宅街にあるグルテンフリーのクレープ屋「マゼンタース」。地方の商業施設やロードサイトのチェーン店ではなく、住宅街に溶け込むように営業しているクレープ屋さんで、朝からひっきりなしにお客様が訪れる人気店です。このクレープ屋さんはグルテンフリーのメニューしかない全国でも珍しいお店で、体に優しいおやつを楽しんでほしい、というコンセプトのもと、クレープを中心にケーキやコーヒーも提供しています。実際に取材中も早い時間からお客様が訪れ、地元に愛されている印象を強く感じました。 経営者の宮本雅世氏に、経緯とお店の歴史についてお伺いながら、非常に感動するインタビューとなりました。 【株式会社マゼンタース 宮本雅世氏 1/3】 ▼食が豊かな街で育った子供時代 ――ご出身や家族構成などを教えてください。 宮本:生まれは千葉県の銚子市です。 家族は父母、母は亡くなって10年経つのですが、あとは2歳上と4歳上の姉がいます。 姉とは結構仲が良くて、同じ千葉県に住んでいるので、今でも会ったり話をしたりしています。 ――幼少時代はどんなお子さんでしたか? 宮本:たぶんすごく内向的だったかなと思っていて。 あまり公園とか外で遊ぶのが好きではなくて、ずっと家の中で塗り絵をしたり、テレビでドラマとかを見て過ごすことが多かったです。 ――物を作るのが好きでしたか? 宮本:いや、そんなことはなかったですね。 ただ小さい頃から料理には興味があって、お母さんが台所で料理している様子を近くで見るのがすごく好きでした。 銚子は有名な漁港があるので、近所の方から魚をよくもらうんですね。 魚を捌いたお刺身だったり、煮物だったり、酢漬け、佃煮など、割と日持ちできるようなものを母は作っていました。 市内にヤマサとヒゲタという大きな醤油工場が二つある街で、その中でもヤマサ醤油の工場の隣にある小学校にずっと通っていました。 大きな醤油工場が二つあるぐらいなので、街全体がすごく醤油の香りがするんですね。醤油の香りに包まれながら、勉強しているみたいな環境でした。 あとはキャベツ畑が本当に多いですね。 高台にキャベツ畑があって、そこから銚子の海を一望できて、キャベツ畑と海が目の前に広がるすごく景色のいい所で育ちました。 ――ご両親はどんなお仕事をされていたんですか? 宮本:祖父の代から自営業で鉄工所をやっていて、父はそれを継いで、母も鉄工所を手伝っていました。 父も母も本当にずっと休みもなかったので、家族で旅行に行った記憶もないですし、お金のことや雇っている従業員さんの話を両親がよくしていて、自営業は本当に大変だなって思っていた記憶があります。 ▼早い時期で知った大人の世界...

HAPIVERI|NEWS LETTER Vol.013 インターナショナルプリスクール 「イルニード」代表 ベン・マヨ氏 - HAPIVERI

HAPIVERI|NEWS LETTER Vol.013 インターナショナルプリスクール 「イ...

■ 3. 時代に挑戦する人たち :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::このコーナーでは、困難な時代において、しがらみにとらわれず新しい試みに挑戦する人たちがいます。時代を読み、自分の信じる道へ邁進する人たちに迫ります。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: インターナショナルプリスクール 「イルニード」代表 ベン・マヨ氏 第3回「失敗を許せる子育て」 今回訪れたのは、東京の有明にあるショッピングモール「有明ガーデン」。ここの施設にあるインターナショナルプリスクール「イルニード」の代表ベン・マヨ氏にお話を伺いました。 ベン・マヨ氏は池袋でIT企業の経営者でありながら、数年前にインターナショナルプリスクール「イルニード」を立ち上げました。ここの先生は全員外国人で構成され、会話は全て英語。お絵かきや工作など、創作に集中できる環境が整えられ、音楽や絵本にも触れることができるクリエイティビティ溢れる児童保育施設です。経営者であり、キリスト教の信者でもあり、一児の母でもあるベン・マヨ氏に幼児教育における新しい試みについて、お話を伺いました。 【インターナショナルプリスクール 「イルニード」代表 ベン・マヨ氏 3/3】 ▼イルニードでの教育と、その先に見える将来 ――先生の採用について、基準はありますか? ベン:イルニードの先生の採用と教育にはこだわりを持っています。「アルバイトがしたいから」とか、「英語喋れるから」といった理由だけで来られた方は、そもそも私達はお断りしているんです。 もちろん英語の力も見ていますが、必ず本気で子どもの教育に貢献したいという気持ちがあって、今までのインプット教育では足りないということに共感してくださる方で、心の綺麗で優しい先生達を、第一優先で採用していますね。 ――やはり幼児教育のキャリアを進んできた方が多いですか? ベン:いいえ、大学などで専門的に勉強されていた分野も本当にバラバラです。もちろん子どもの教育を専門に勉強をしてきた先生もいますが、アートを専門的に大学院までやっていた先生もいれば、エンジニアリングを勉強していた先生もいるんですよ。 ただアイディアに長けているということは、共通する点として言えるでしょう。子どもに対して本気で向き合っていて、何かしら一つはすごく優れた才能を持っています。 ――では先生の研修はどのようなものでしょうか? ベン:もう2年ほどになりますが、設立当初からアレッサンドラさんがリードしてくださっている研修があります。あとは先生達自らでアートを学ぶために一緒に美術館へ行って、一緒に感性を磨くことも取り組んでいます。先生として教育をする立場になっても、尚勉強は続けています。 ――すごく良い経験ですね。 ベン:先生達は毎月のレッスンのプランニングを作成し、細かく設定した計画書を見て、アイディアをシェアしていきます。 そのアイディアに対して各エリアの準備をするのですが、子どもによっては準備したものをそのまますんなりと受け入れて遊び始める子もいれば、全く興味がない子もいるんですよね。 そのためイルニードの現場で子どもを指導する先生には、レッスンプランを理解してアイディアをシェアする力。 もう一方で子供を観察する力を持ち、その場でその子に合った臨機応変なアレンジができる力を持ち合わせている必要があります。 これが先ほどイルニードの先生が、アイディアに長けているとお話した理由になります。このように先生達の採用や研修、日々の子どもの指導などを行っています。 ▼自分で考えて行動する ――この教育を進めたことで、実際にどういう効果がありましたか?...

HAPIVERI|NEWS LETTER Vol.012 インターナショナルプリスクール 「イルニード」代表 ベン・マヨ氏 - HAPIVERI

HAPIVERI|NEWS LETTER Vol.012 インターナショナルプリスクール 「イ...

インターナショナルプリスクール 「イルニード」代表 ベン・マヨ氏 第1回「未来を生きる子ども達に必要な学びを」 今回訪れたのは、東京の有明にあるショッピングモール「有明ガーデン」。ここの施設にあるインターナショナルプリスクール「イルニード」の代表ベン・マヨ氏にお話を伺いました。 ベン・マヨ氏は池袋でIT企業の経営者でありながら、数年前にインターナショナルプリスクール「イルニード」を立ち上げました。 ここの先生は全員外国人で構成され、会話は全て英語。お絵かきや工作など、創作に集中できる環境が整えられ、音楽や絵本にも触れることができるクリエイティビティ溢れる児童保育施設です。 経営者であり、キリスト教の信者でもあり、一児の母でもあるベン・マヨ氏に幼児教育における新しい試みについて、お話を伺いました。

HAPIVERI|NEWS LETTER Vol.011 インターナショナルプリスクール 「イルニード」代表 ベン・マヨ氏 - HAPIVERI

HAPIVERI|NEWS LETTER Vol.011 インターナショナルプリスクール 「イ...

インターナショナルプリスクール 「イルニード」代表 ベン・マヨ氏 第1回「未来を生きる子ども達に必要な学びを」 今回訪れたのは、東京の有明にあるショッピングモール「有明ガーデン」。ここの施設にあるインターナショナルプリスクール「イルニード」の代表ベン・マヨ氏にお話を伺いました。 ベン・マヨ氏は池袋でIT企業の経営者でありながら、数年前にインターナショナルプリスクール「イルニード」を立ち上げました。 ここの先生は全員外国人で構成され、会話は全て英語。お絵かきや工作など、創作に集中できる環境が整えられ、音楽や絵本にも触れることができるクリエイティビティ溢れる児童保育施設です。 経営者であり、キリスト教の信者でもあり、一児の母でもあるベン・マヨ氏に幼児教育における新しい試みについて、お話を伺いました。