腸内細菌は「もう一つの臓器」――免疫から脳、最新治療までわかってきたこと

腸内細菌は「もう一つの臓器」――免疫から脳、最新治療までわかってきたこと

お腹の調子が悪い日は、なんとなく気分まで晴れない。逆に、腸の具合がいいと頭も体も軽い。そんな感覚に覚えのある方は多いはずです。

長らく腸は、食べたものを消化して吸収する「管」として理解されてきました。ところが近年の研究は、その見方を大きく塗り替えています。腸のなかにすむ膨大な微生物の集まりが、消化だけでなく、免疫の調整から気分の上下、全身の代謝にまで関わる——体のなかの「もう一つの臓器」として働いている、という理解です。

ここでは、この“もう一つの臓器”の正体と、いま治療の現場で起きている変化をたどっていきます。

マイクロバイオームという臓器――「第二のゲノム」と呼ばれるわけ

「腸内フローラ」という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。腸のなかで多種多様な菌が群れて生きる様子が、花畑(flora)に見立てられたことに由来します。

この菌の集まりそのものを指すのが「マイクロバイオータ(細菌叢)」です。どんな菌が、どれくらいの割合で住んでいるか。その顔ぶれに注目した言葉です。

一方の「マイクロバイオーム」は、菌そのものだけでなく、菌が持つ遺伝子の全体、菌が作り出す物質、活動する環境までをひとまとめにした、より広い概念です。体調を最終的に左右するのは「どの菌がいるか」よりも「その菌が何を作り、体とどうやりとりするか」であり、だからこそ機能まで含んだこの言葉が使われます。

腸内細菌が「第二のゲノム」と呼ばれるのも、この働きの大きさゆえです。

その規模については、少し注意が要ります。「腸内細菌は全部で1〜2キロある」と語られてきましたが、近年の丁寧な推計では、この数字はかなり大きすぎるようです。総重量はおよそ0.2キロ程度と見積もられています。

ただ、細胞の数でいえば数十兆にのぼり、ヒト自身の細胞と同じくらいの桁になります。重さより、その数と働きにこそ意味があります。

もう一つ大切なのは、この構成が一人ひとり大きく違うことです。生まれたときの分娩の形、母乳かどうか、その後の食事、抗菌薬を使った経験、加齢やストレス。さまざまな要因で日々変わっていきます。

だからこそ「万人に共通の理想的なバランス」というものは存在せず、その人なりに落ち着いた状態こそが健康な腸だと考えられています。

免疫の学校――酪酸と、炎症にブレーキをかける細胞

腸は、体のなかで最も広く外界に接する場所です。食べ物に含まれる無数の異物、共生する菌、ときに紛れ込む病原体。そのすべてに、腸の免疫はさらされ続けています。

腸の免疫は、危ないものは排除しつつ、無害なものには過剰に反応しないという、正反対の判断を正確にこなさなければなりません。この選り分けを誤ると、食物アレルギーや炎症性腸疾患につながります。

その調整の要を担うのが、「制御性T細胞(Treg)」と呼ばれる免疫細胞です。免疫の暴走にブレーキをかける役回りで、腸のなかの余計な炎症を抑えています。

近年の研究で、このブレーキ役を増やすスイッチの一つが、腸内細菌の作る物質だとわかってきました。

食物繊維のように、私たちの消化酵素では分解しきれない糖質が大腸まで届くと、腸内細菌がそれを発酵させ、「短鎖脂肪酸」を作ります。なかでも「酪酸」は、大腸の粘膜を養う燃料であると同時に、免疫への合図としても働きます。

理化学研究所や東京大学医科学研究所などの共同研究グループは、この酪酸がTregへの分化を強く促すしくみを解き明かしました。

酪酸には、遺伝子の“読み取り”を抑える酵素の働きを妨げる作用があり、その結果、Tregになるための鍵となる遺伝子が読み取られやすくなります。固く巻かれた糸を酪酸がほどき、必要な設計図を読ませる——そんなイメージです。

高繊維食を与えたマウスでは、腸内で酪酸が多く作られ、Tregが増えていました。大腸炎を起こしたマウスに酪酸を与えると、炎症がやわらいだことも報告されています。ここで確認しておきたいのは、これらが主に動物実験の段階の知見だという点です。

人での病気の予防や治療をうたえる段階ではありません。ただ、「食事→腸内細菌→免疫」という道すじがはっきり形をもって見えてきたことの意味は、小さくありません。

腸と脳のホットライン――「お腹で気分が変わる」しくみ

腸と脳は、たえず情報をやりとりしています。最も速い連絡路が、迷走神経という神経のネットワークです。

腸の粘膜には、腸内の環境を感じ取るセンサー役の細胞が点在しています。この細胞は、体内のセロトニンの大部分を腸で作っていることでも知られています。腸の状態を感じ取ると、隣を走る迷走神経を刺激し、その信号が脳へ届きます。腸で起きていることが、気分や食欲、不安の感じ方にまで影響する。そう考えられています。

逆向きもあります。脳が受けたストレスが自律神経を通じて腸に伝わり、便秘や下痢、腹痛を引き起こす。腸と脳のやりとりは、一方通行ではありません。

もう一つの連絡路が、血液を介した経路です。腸で作られた物質やサイトカインは、血流に乗って全身をめぐります。かつて脳は「血液脳関門」という強固な関所で守られ、血中の物質から隔てられていると考えられていました。

しかし、腸由来の物質の一部がこの関所を越えて脳に届き、脳内の免疫細胞に働きかけることがわかってきました。神経を伝う速い経路と、血液を伝うゆっくり続く経路。腸の情報は、この二つで脳へ運ばれています。

腸は、肝臓とも太いパイプでつながっています。腸で吸収されたものは、まず肝臓へ流れ込むためです。腸のバリア機能が弱まると、本来せき止められるはずの菌の成分が漏れ出し、肝臓に慢性的な炎症を起こす。脂肪肝の進行に関わると指摘されています。腸のバリアがゆるむこの状態は「リーキーガット」とも呼ばれますが、その全体像はまだ研究の途上にあります。

だからこそ、食事を整え、睡眠をとり、無理のない運動を続けることは、腸だけでなく脳や肝臓もいっしょに整える、理にかなった習慣だといえます。

治療の最前線――腸内細菌を入れ替える

腸内細菌の理解は、観察から治療へと進みはじめています。その象徴が、健康な人の腸内細菌を患者に移す「便微生物移植」です。崩れた生態系を、まるごと立て直そうという発想です。

日本では、順天堂大学の研究グループが独自の方法で成果を上げています。移植の前に3種類の抗菌薬で患者の乱れた腸内細菌をいったんリセットし、そこへ健康なドナーの多様な菌を注入する「抗菌薬併用腸内細菌叢移植(A-FMT)」です。

難治性の潰瘍性大腸炎を対象にした多施設共同研究では、寛解導入率45.9%という結果が報告されました。免疫を薬で抑え込むのではなく、乱れの発信源である腸内細菌そのものを整える。そういう新しい道すじです。

海外では、規格化された製剤の承認も始まっています。米国では、便由来の微生物を精製したカプセル製剤や直腸投与型の製剤が、再発を繰り返すクロストリジオイデス・ディフィシル感染症の予防を対象に承認されました。

かつて内視鏡で便を注入していた治療が、品質管理された「医薬品」の形へと洗練されつつあります。

死んだ菌が効く――ポストバイオティクスという発想

長らく主役だったのは「プロバイオティクス」、つまり生きた有用菌を届ける考え方でした。ただ、生きた菌には弱点もあります。低温での保存が欠かせず、流通の途中で生存率が落ち、免疫が弱った人では菌が体に回るリスクも避けられません。

そこで広がっているのが「ポストバイオティクス」です。2019年に専門家が集まって議論し、2021年に定義がまとめられました。「宿主に健康上の利益をもたらす、生命活動を持たない微生物、またはその成分の製剤」。死んだ菌そのものや、細胞壁の断片、菌が生前に作った物質までを含む考え方です。

加熱殺菌された菌は効果がないと誤解されがちですが、菌がもたらす効果の多くは、生きているかどうかより、その細胞の構造や含まれる物質によることがわかってきました。免疫は、生きた菌と死んだ菌の“部品”を同じように認識し、有益な反応を起こせるのです。

死んでいるぶん、常温で安定し、加熱調理や酸性の飲料にも使えます。感染の心配がなく、免疫の落ちた人にも用いやすい。競合が菌を取り出して再現することも難しいため、企業にとっても扱いやすいという利点があります。

象徴的な例が、アッカーマンシア・ムシニフィラという腸内細菌です。代謝の改善に関わる有望な菌ですが、酸素にきわめて弱く、生きたまま製品にするのが難しい菌でした。低温殺菌した形にすることで安全に扱えるようになり、欧州の食品安全機関はこれを新規食品として安全性を認めています。

腸を育てる暮らし――今日からできること

ここまで見てきたしくみはどれも壮大ですが、日々にできることは、むしろ素朴です。

免疫のブレーキ役を支える酪酸は、腸内細菌が食物繊維から作ります。海藻、大麦、豆類、りんご、バナナ、ごぼうなど、大腸の奥まで届く食物繊維を意識してとることが、その材料を増やします。発酵食品や植物発酵飲料も、腸内環境の土台を整える選択肢の一つです。

食事に加えて、睡眠と、無理のない運動。そしてストレスをためすぎないこと。これらは腸と脳の両方を、同時に良い状態へ運びます。

お腹の調子と気分がつながっている——冒頭のあの感覚は、気のせいではありません。腸を大切にすることは、体だけでなく、心の土台を整えることでもあります。今日の一皿から、少しずつ育てていけます。

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