朝はトーストに全粒粉のパン、昼はオートミール、豆料理も食卓によく上る。そんな植物性中心の食事を続けている方は少なくないと思います。その食べ物のなかには、ミネラルの吸収をそっと邪魔する「フィチン酸」という成分が含まれています。ところが、この厄介者を静かにほどいて、体に役立つ物質へと変えてくれる腸内細菌がいます。
その菌の名前を、ミツオケラといいます。数年前、あるテレビ番組で、タレントのマツコ・デラックスさんの腸から見つかった珍しい菌として一度話題になったので、名前だけは耳にした方もいるかもしれません。
あまり知られていませんが、この菌の名前には、日本人研究者の名字がそのまま刻まれています。腸内細菌の世界に、日本の科学史が静かに息づいている。今回はその小さな菌をたどっていきます。
その菌には、日本人研究者の名前がついている――「ミツオケラ」の由来
ミツオケラ(Mitsuokella)という属名は、腸内細菌学の世界的権威、光岡知足博士の名前に由来します。
光岡博士は、1953年に東京大学の大学院で腸内細菌の研究を始めた人物です。当時は、腸のなかにどんな菌が棲んでいるのかを調べる培養法すら、ほとんど確立されていませんでした。酸素に触れると死んでしまう菌が多く、取り出して育てること自体が難題だったのです。
この菌が最初に記載されたときは、別の属の一種として、Bacteroides multiacidus という名前がついていました。ところが調べていくうちに、既存のどの属にも当てはまらない性質を持つことがわかってきます。そこで新しい属が立てられ、発見に大きく貢献した光岡博士にちなんで、ミツオケラ属と名づけられました。
菌の学名に人名がつくこと自体は珍しくありません。ただ、それが日本人の名字となると、数はぐっと限られます。腸のなかに、日本の研究史の一片が名前として残っている。そう思うと、少し不思議な気持ちになります。
分類のねじれ――系統は「あの一族」、見た目はグラム陰性
ミツオケラには、細菌の分類の上で、ちょっとしたねじれがあります。
微生物の教科書では、細菌をおおまかに「グラム陽性」と「グラム陰性」に分けます。染色したときの色の違いから、細胞を包む壁の構造がおおよそ見分けられるからです。ミツオケラが系統上属している「ファーミキューテス」という大きなグループは、ふつうグラム陽性の菌ばかりが集まる一族です。
ところがミツオケラは、その一族に血筋としては属しながら、染色するとグラム陰性を示します。厚い壁の外側に、もう一枚の膜をまとっているためです。血筋は陽性の一族なのに、見た目は陰性という、ちぐはぐな姿をしています。こうした矛盾をかかえた菌たちは、いまでは「ネガティビキューテス」という独立したまとまりとして整理されています。
分類の世界では、こうした見直しが何度も起きてきました。かつてミツオケラ属に置かれていたある菌も、遺伝子を読み解いた結果、まったく別の系統だとわかり、プレボテラ属という別のグループへ移されています。見た目が似ていても、血筋はまるで違うことがある。腸内細菌の分類は、そんな発見の積み重ねで少しずつ塗り替えられてきました。
フィチン酸という反栄養素を、菌がほどく
フィチン酸は、穀物や豆、種子が、リンを蓄えておくための分子です。ほかの成分を強くつかむ性質があり、鉄や亜鉛、カルシウムといったミネラルとがっちり結びついて、腸での吸収を邪魔します。このため栄養学では長らく、ミネラルの吸収を妨げる「反栄養素」として、どちらかといえば厄介者あつかいされてきました。
一方で、フィチン酸を含む食品には健康面での利点も報告されていて、評価は一筋縄ではいきません。その恩恵を受け取るには、フィチン酸を体に役立つ物質へ変換する工程が要ります。ところが人間は、自分の消化酵素ではフィチン酸をほとんど分解できません。
そこで腸内細菌の出番になります。2024年に報告された研究で、この分解を効率よくこなす菌として名前が挙がったのが、ミツオケラの一種(Mitsuokella jalaludinii)でした。
この菌はフィチン酸を分解する酵素を持ち、がっちり組み合わさったリン酸のかたまりを切り離して、ミオイノシトールという扱いやすい物質へとほどいていきます。長らく謎だった「腸のなかで、いったい誰がフィチン酸を分解しているのか」という問いに、一つの答えが見えた形です。
バトンを渡す――二つの菌がつなぐ共生のリレー
ミツオケラの働きは、ここで終わりません。ほどいたミオイノシトールをさらに代謝すると、この菌は3-ヒドロキシプロピオン酸、略して3-HPという物質を作り出します。3-HPには抗菌の作用があり、数えきれないほどの菌がひしめく腸のなかで、まわりのライバルを牽制する武器になります。自分の陣地を守るための、いわば化学的な盾です。
ただ、この物質が過剰にたまることは、腸内のバランスにとって望ましくありません。そこで力を発揮するのが、隣にいる別の菌(Anaerostipes rhamnosivorans)です。この菌は、ミツオケラが放り出した3-HPを受け取り、体にうれしい短鎖脂肪酸の一つ、プロピオン酸へと作り変えます。
一方が渡したバトンを、もう一方が受け取って次の走者へ運ぶ。リレーのような関係です。片方だけでは持て余してしまう物質が、二つの菌の連携でうまくさばかれ、最後には有益な形に変わります。生まれたプロピオン酸は、腸の壁の細胞どうしをつなぐ「接着」の働きを助けると報告されています。培養細胞やマウスを使った実験では、この連携によって腸のバリアが強まることも確かめられています。
ヒトでの意味あいは、まだ慎重に見ていく段階です。ただ、大規模な集団を調べたデータでは、ミツオケラを多く持つ人がいる一方で、代謝にかかわる不調をかかえた人ではこの菌が少ない、という傾向も報告されています。植物性の食事が多い地域ほどこの菌が豊富だという観察もあり、日々の食習慣との結びつきがうかがえます。
病原菌への盾にもなる
3-HPが持つ抗菌の力は、外から侵入してくる病原菌に対しても向けられます。食中毒などを起こすサルモネラ菌を使った実験では、ミツオケラの培養液にさらすと、その増殖や、細胞へ入り込む力が抑えられたと報告されています。
単に環境が酸性になったからというだけでは説明がつかず、この菌が出す特有の物質が効いているとみられています。腸のなかにこうした菌がいることは、栄養を奪い合う単純な競争だけでなく、病原菌を遠ざける働きにもつながっていると考えられています。
「数で押す」から「役割で効く」へ――次世代プロバイオティクスという発想
従来のプロバイオティクスは、乳酸菌やビフィズス菌をたっぷり摂り、善玉菌の数で腸内を押し返すという発想が中心でした。
これに対して近年注目されているのが、たとえ数が少なくても、特定の代謝の役割を担う菌を狙って活かすという考え方です。腸内フローラの解析が進んだことで、ミツオケラのような「縁の下の力持ち」の菌が、あらためて見つかるようになりました。次の世代のプロバイオティクスの候補として、その名前が挙がっています。
応用の裾野は、人の健康にとどまりません。ミツオケラの持つフィターゼ、つまりフィチン酸を分解する酵素は、家畜の飼料に加えると、飼料中のリンやミネラルの吸収を助けます。未消化のまま排出されるリンが減れば、河川や土壌にかかる環境負荷も抑えられます。医療と農業の両面で、この小さな菌の使い道が探られている段階です。
意外な広がりもあります。腸に棲むはずのこの菌が、皮膚の深い層でも検出され、アトピー性皮膚炎との関連が調べられ始めています。まだ研究の入り口ではありますが、「腸だけの菌」という思い込みを揺さぶる発見です。
小さな菌が、静かに教えてくれること
珍しいと言われたその菌は、日本人研究者の名を冠し、フィチン酸をほどき、隣の菌にバトンを渡し、病原菌を牽制する。腸のなかで、いくつもの役割を静かにこなす働き者でした。数が多くなくても、腸内環境という大きな仕組みのなかで、確かな役目を果たしています。
腸内フローラは、一つの菌だけで動いているわけではありません。多様な菌が食べ物を分け合い、代謝物を受け渡し、互いに支え合って成り立っています。全粒穀物や豆、野菜といった植物性の食材、そして発酵食品を日々の食卓に少しずつ取り入れることは、そうした菌たちが働きやすい土台づくりにつながります。



