塩辛はなぜあんなにしょっぱいのか――保存技術としての発酵食品の歴史

塩辛はなぜあんなにしょっぱいのか――保存技術としての発酵食品の歴史

炊きたてのご飯に、イカの塩辛をひとすくい。ねっとりとした身が湯気で少しゆるんで、口に入れた瞬間に塩気とうま味が立ち上がります。刺身より、こちらのほうが好きだという方も少なくないはずです。

ただ、しょっぱい。ご飯なしでは食べ続けられないほどの塩気です。

この塩気は、味の好みから選ばれたものではありません。冷蔵庫も冷凍庫もなかった時代に、もっとも腐りやすい食材である魚介をどう食べきるか。その問いへの答えが、そのまま味になったのが塩辛です。

ここでは、塩辛の製法を手がかりに、日本人が海の恵みをどう保存し、どう運び、どう権威にまで仕立てていったかをほどいていきます。

水田の魚を食べきる――塩辛と魚醤が枝分かれするまで

塩辛といえばイカですが、技術の出発点は淡水魚にあったという見方が有力です。

文化人類学者の石毛直道氏は、稲作と淡水漁業がセットになった生活様式を「水田漁業」と名づけました。農薬を使う以前の水田と、そこにつながる用水路は、小魚を捕るのにうってつけの環境です。ただし魚が獲れるのは、水を抜く時期などに集中します。

そこで生まれたのが、大量の塩に漬けて保存する技術でした。石毛氏は、塩辛となれずしを、一時期に集中して漁獲される淡水魚を保存するために開発された食品だと推定しています。

この技術は、時間と塩、そして米飯を加えるかどうかで枝分かれしていきます。魚を液化させて上澄みを濾せば魚醤油になり、固形のまま発酵させれば塩辛になり、炊いた米飯を加えて乳酸発酵させればなれずしになります。

石毛氏は、なれずし以外のアジアの魚介発酵食品を、塩辛、塩辛ペースト、魚醤油、小エビ塩辛ペースト、小エビ醤油の五つに分類しています。秋田のしょっつる、能登のいしり、タイのナムプラー、韓国のセウジョッ、タイのカピは、すべてこの系譜の親戚同士です。

日本では、大豆や小麦を原料とする味噌・醤油が調味料の主役の座を奪っていきました。魚醤は一部の沿岸地域に残り、固形物を食べる塩辛のほうは、副食や酒の肴として独自の道を歩んでいきます。

税として都へ――「醢」と呼ばれた古代の塩辛

日本の塩辛の記録は、飛鳥時代までさかのぼります。

694年から710年にかけて営まれた藤原京の跡から、地方から税として納められた品につけた荷札、つまり木簡が多数出土しました。そのひとつに、フナの塩辛を意味する「鮒醢」と書かれたものがあります。これが日本における塩辛の文献的初出とされています。

塩辛は考古学的な遺物としては残りません。この一枚の木簡が持つ意味が大きいのはそのためで、石毛氏もこれを最初の文字記録として挙げています。

平安時代中期の『延喜式』には、越後国が納める品として「楚割鮭」や「鮭内子」が記録されています。楚割鮭は雄鮭の身を細かく割り、塩をつけて干したものです。鮭内子は、雌の腹子を別に塩漬けにしてから、再び腹に抱かせたものを指します。

塩蔵した魚は、この時代にはすでに国家の徴税システムに組み込まれた資産でした。

塩は腐敗を止め、酵素は身を溶かす――塩辛という化学反応

塩辛のしょっぱさには、はっきりした理由があります。

魚介の身や内臓には、生きているあいだ体を動かすための酵素が備わっています。死んだあと、この酵素は自分の細胞を分解しはじめます。塩辛は、その自己消化をあえて利用する食品です。硬い身がやわらかくほどけ、タンパク質がグルタミン酸などのアミノ酸にまで分解されて、濃いうま味が生まれます。

とはいえ、放っておけば腐敗菌も一緒に増えます。そこで大量の塩を入れます。強い浸透圧が水分を奪い、腐敗にかかわる微生物の活動を抑え込みます。

高い塩分のもとでも、自己消化酵素のほうは働き続けます。塩が微生物を止め、酵素だけが生き残る。この線引きの上に、塩辛という食品は成り立っています。

イカの塩辛でいえば、主役はイカゴロと呼ばれる中腸腺です。肝に含まれる酵素が身のタンパク質を溶かし、遊離アミノ酸を増やしていきます。

さらに、高い塩分にも耐える細菌が、この過酷な環境のなかでゆっくりと活動を続けます。伝統的な製法では、木樽のなかで毎日かき混ぜながら何日もかけて発酵を進め、この細菌たちが独特の香りと風味をつくっていくと考えられています。

内臓も、卵も――部位で分かれる塩辛の系譜

塩辛の懐は、イカよりずっと広いところにあります。

丸ごと漬けるものには、アミの塩辛や、沖縄でアイゴの稚魚を漬けた「スクガラス」があります。身だけを使うものには、皮をむいた身で仕上げる白い塩辛や、サケやニシンを刻んで糀とともに漬ける北海道の「切り込み」があります。

内臓だけを使うものも数多くあります。カツオの「酒盗」、ナマコの「このわた」、アユの「うるか」、サケやマスの「めふん」。魚を余すところなく使おうとした知恵が、そのまま珍味の名前になりました。

卵巣や精巣を使うものもあります。アユの卵巣を漬けた「子うるか」、精巣を漬けた「白うるか」、内臓ごと漬けて苦味の強い「苦うるか」と、一尾の魚から何種類もの塩辛が分かれていきます。

アユは山あいの貴重なタンパク源で、しかも夏から秋にしか獲れません。うるかは、その短い季節を一年に引き延ばすための技術でした。腹の調子が悪いときに舐めたと伝える古い漁師の話も残っていますが、これは効能というより、苦味とともに受け継がれてきた土地の言い伝えとして聞いておきたいところです。

韓国では「チョッカル」と呼ばれる塩辛の種類がさらに豊富で、小エビの「セウジョッ」やタチウオの塩辛は、キムチを漬けるときに欠かせません。塩辛は、そのまま食べるだけでなく、ほかの食品のうま味を引き上げる材料としても働いてきました。

山へ運ばれた海――「塩の道」と塩丸いか

急峻な山地が国土の大半を占める日本では、沿岸から内陸へ塩と海産物をどう届けるかが死活問題でした。糸魚川から松本・塩尻へ抜ける千国街道、直江津から追分へ向かう北国街道、太平洋側の秋葉街道など、いくつもの「塩の道」が牛や馬、歩荷の背によって結ばれていきます。

海のない長野へ、その道を通って運ばれた代表格が「塩丸いか」です。スルメイカの内臓と皮を取って茹で、胴に足と塩を詰めた塩蔵食品です。

塩丸いかは、塩を運ぶついでに生まれました。当時、塩そのものが貴重な商品でしたが、ただ塩だけを運ぶより、何かを漬け込んで運んだほうが商品価値が高くなります。その発想から、江戸時代中期ごろに作られるようになったとされています。

内陸の人々にとって、これは冷蔵技術のない時代に海の動物性タンパク質を手にできる、数少ない手段でした。塩抜きをしてきゅうりやわかめと酢の物にする食べ方はいまも長野の家庭に残り、県内のスーパーには常時並び、学校給食の献立にもなっています。

塩を運ぶための工夫が、そのまま土地の味として定着した例です。

捨てる部位が、殿様の膳に――黒作りと酒盗

江戸時代に流通経済が発達すると、塩辛は各藩が磨き上げる特産品へと姿を変えていきます。

富山の「黒作り」は、スルメイカの身と肝にイカスミを混ぜて熟成させた、漆黒の塩辛です。イカスミにはグルタミン酸やタウリンといううま味成分が含まれ、一般的な赤い塩辛より深みがあり、生臭さが少なく塩味がまろやかに感じられると言われます。

加賀藩主が参勤交代の際に将軍家へ献上したことを記した文書が残っており、江戸時代にはすでに名産として定着していたことがわかります。考案の時期については諸説があり、はっきりしていません。

高知の「酒盗」は、鰹節を作るときに捨てられていた内臓から生まれました。胃や腸を塩に漬け、長い時間をかけて発酵・熟成させます。塩辛の漬け込みが一般に10日から20日程度であるのに対して、酒盗は10か月から13か月をかけます。

名前の由来には伝承があります。土佐藩12代藩主の山内豊資が土佐清水の宿でこれを肴に酒を飲み、「これを肴にすると酒が盗まれるようになくなる」と絶賛したことから、その名がついたと言われています。

越後村上の「塩引き鮭」も、塩と時間の技術です。内臓を取り除いた鮭に一週間ほど塩をすり込み、流水で塩を抜いて塩加減を整え、皮まで磨き上げてから日本海の寒風にさらします。塩をまぶすだけの新巻鮭と違い、「寝かせる・磨く・干す」という工程が熟成を生みます。江戸時代の書状には、村上の塩引鮭が数百尾単位で江戸へ送られ、将軍家や大名への献上物に使われたことが見えます。

廃棄されるはずだった部位や、放っておけば腐る魚が、塩と時間だけで献上品に変わっていきました。

「なし物」から「塩辛」へ――名前が変わるとき

古代から中世にかけて、魚介の内臓や肉を塩蔵した食品は「醢」や「鱁鮧」と呼ばれ、16世紀ごろまでは「なし物」という言葉が塩辛や魚醤の全般を指していました。

「塩辛」という文字自体は平安末期の『今昔物語』に現れます。ただ、それが今日と同じものを指していたかは確認できず、時代的にも孤立しているため、初出を室町末期の『日葡辞書』とする説もあります。

「なし物」との併用がしばらく続いたのち、江戸中期後半以降に「塩辛」という名称が定着しました。鳥取の「しょうから」、志摩の「しょから」といった訛りも記録に残っています。沖縄では、塩で辛くするという意味から「〜ガラス」という独自の言い方が生まれ、アイゴの稚魚を漬けた「スクガラス」にその痕跡があります。

特権階級の重宝から、庶民の飯の菜へ。この移り変わりが、呼び名の変化にも表れています。

塩を減らすと、うま味も減る――現代の塩辛が示すこと

いまスーパーの冷蔵ケースに並ぶ塩辛は、昔のものとはずいぶん違います。

伝統的な製法では、塩を10%から20%ほど加えます。この濃さがあるからこそ、常温での流通が可能でした。健康志向を背景に低塩化が進み、現在は5%前後の製品が主流です。塩気が穏やかで食べやすくなった一方、常温では腐敗の恐れが出るため、要冷蔵の扱いになりました。

失われたのは、保存性だけではないようです。2024年に北里大学海洋生命科学部などの研究グループが、高塩分(12%・25度保存)と低塩分(5%・5度保存)のイカの塩辛を比較した結果を報告しています。

高塩分では発酵と自己消化が進むにつれて遊離アミノ酸やジペプチド、有機酸が増え、塩辛特有の風味を形づくっていたのに対し、低塩分ではこうした変化が抑えられ、製造中の変化そのものが小さかったとされています。細菌叢も両者で異なり、官能評価では高塩分のほうがうま味とこく味が強いと評価されたと報告されています。

低塩の塩辛に調味料が加えられることが多いのは、この事情と無関係ではなさそうです。熟成が進まない分を、外から補っていることになります。塩は、ただ味を濃くするために入っていたのではありません。腐敗菌を止め、酵素だけを働かせ、うま味を生ませる条件そのものが、あの塩気でした。

保存食から、嗜好品へ

冷蔵庫が各家庭に行き渡り、極端な高塩分に頼る必要はなくなりました。塩辛は、生き延びるための技術から、うま味と食感を味わうための嗜好品へと役割を変えています。瓶詰めの製品のなかには、いまも17%前後の塩分を保ち、未開栓なら常温で置けるものも残っています。

それでも、あの一口に凝縮されているものは変わっていません。腐りやすいものを腐らせず、捨てられるはずの部位からいちばん濃い味を引き出す。塩と酵素と時間だけで、それをやってのけた人たちがいました。ご飯にのせた塩辛のしょっぱさは、その設計図の名残です。

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