「焦げ臭い薬」から世界へ──日本のコーヒー文化はこうして生まれた

「焦げ臭い薬」から世界へ──日本のコーヒー文化はこうして生まれた

外から来た飲み物でありながら、日本ほど独自の作法や空間、抽出への美意識を育てた国は世界でも稀です。エチオピアで生まれ、アラビア半島で飲み物として広まったコーヒーは、長い時間をかけて世界へ伝わりました。

日本ではそれが単なる輸入飲料にとどまらず、数百年をかけて社会や経済、そして精神文化と結びつきながら、缶コーヒーや自動販売機、モーニングサービス、純喫茶といった世界に類のない形へと姿を変えていきます。

江戸時代の伝来から現代のスペシャルティコーヒーまで、その受容と変遷をたどってみます。

「焦げ臭い薬」として始まった出会い

日本とコーヒーの最初の接触は、鎖国下の江戸時代にさかのぼります。1641(寛永18)年、オランダ商館が平戸から長崎の出島へ移された際に、オランダ人によって持ち込まれたのが始まりとされています。

当時のコーヒーは一般的な飲み物ではなく、ごく限られた人だけが触れられる珍しい舶来品でした。緑茶の旨味や和菓子の甘さを中心とした当時の味覚にとって、強い焙煎香と苦味は明らかな異物だったようです。

長崎奉行所に勤めた狂歌師の太田南畝(蜀山人)は、紅毛船の上で初めて口にしたコーヒーを「焦げ臭くて味わうにたえない」と書き残しています。文化人でさえ、その風味を受け入れるには高い壁があったわけです。

風向きが変わるのは、薬としての関心からでした。長崎の出島に着任したドイツ人医師シーボルトは、著書『薬品応手録』のなかで、コーヒーを長寿をもたらす良薬として紹介します。

彼は、二百年以上もオランダ人と交流のある日本人がまだコーヒーを飲む習慣を持たないことに驚き、その効能を熱心に説きました。日本でのコーヒー受容は、味の楽しみよりも先に、医学的・薬学的な効能への期待から始まったといえます。

日本初の喫茶店と銀座のカフェー

幕末の開国を経て、コーヒーも正式に輸入されるようになり、都市部を中心に少しずつ広まっていきます。日本のコーヒー史で決定的な転換点となったのが、1888(明治21)年、東京・下谷黒門町(現在の上野近辺)に開業した日本初の本格的な喫茶店「可否茶館(かひさかん)」です。

開いたのは鄭永慶(ていえいけい)。彼が思い描いたのは、単なる飲食店ではなく、身分や立場を超えて知識人も一般の人も集い、トランプやビリヤードを楽しみながら西洋の文化や思想を語り合える、文化的なサロンでした。

可否茶館は当時の大衆には時期尚早で、数年で店を閉じます。理想が時代に追いつかず、鄭永慶自身は密航同然に渡米し、1894(明治27)年、シアトルで37歳の若さでこの世を去りました。

それでも「コーヒーを介して人が集い、語り合う空間」という発想は、その後の日本の喫茶店文化の土台になりました。なお、日本人の加藤サトリが1899(明治32)年にインスタントコーヒーを考案し、二年後の全米博覧会で発表したことも、コーヒーの大衆化に日本人が早くから関わっていた事実として見逃せません。

明治の末から大正にかけて、コーヒーは都市文化の象徴になっていきます。1911(明治44)年の銀座では、「カフェ・プランタン」や「カフェ・ライオン」が相次いで開店し、なかでも大衆化に最も貢献したのが「カフェー・パウリスタ」でした。

創業者の水野龍はブラジル移民事業に尽力した人物で、その功績からサンパウロ州政府よりコーヒー豆の無償提供を受け、本格的なブラジルコーヒーを安く広めました。良質なコーヒーを手頃な値段で出したことで、特権階級だけでなく学生や若い知識人、一般の人々の支持を集めます。

慶應義塾の学生たちのあいだで「銀座でブラジルコーヒーを飲むこと」を指して「銀ブラ」という言葉が生まれたという説があるほど、当時のカフェーは最先端のライフスタイルと深く結びついていました(語源には「銀座をぶらぶら歩く」という有力説もあり、いまも論争があります)。

戦争をはさんだ断絶と、戦後のひろがり

順調に育っていたコーヒー文化は、第二次世界大戦で大きな打撃を受けます。1938(昭和13)年以降、戦時体制の強化とともにコーヒー豆の輸入は厳しく制限され、やがて途絶しました。

人々は渇望を満たすため、大豆や麦、タンポポの根、チコリなどを焙煎した「代用コーヒー」を口にします。同じことは海の向こうでも起きていて、世界有数のコーヒー消費国であるスウェーデンでも、戦時の貿易制限でコーヒーが高級品となり、チコリやタンポポの根を代用品にしていました。

終戦から五年後の1950(昭和25)年、ようやくコーヒー生豆の輸入が再開されます。その後、高度経済成長を背景に1960年代には生豆もインスタントコーヒーも輸入が自由化され、喫茶店産業はかつてない勢いで広がりました。

全国の喫茶店数は伸び続け、1981(昭和56)年には15万4,630軒という統計史上最多を記録します。街角には多様なスタイルの喫茶店があふれ、生豆の輸入量も右肩上がりに増えていきました。

この時期に各地で根づいたのが、いわゆる「昭和レトロ」の純喫茶です。純喫茶は単なる飲食店ではなく、都市で働く人々の避難所であり、地域の応接間のような役割を担っていました。

モーニングと缶コーヒー、日本だけの進化

空間の進化と並んで、日本はコーヒーの「出し方」でも独自の工夫を重ねてきました。その代表が、コーヒー一杯の値段でトーストやゆで卵などが付いてくる「モーニングサービス」です。発祥には諸説ありますが、特に有力なのが愛知県の一宮市と豊橋市です。

繊維業が盛んだった一宮では、機織りの騒音を避けて商談する場として、また夜勤明けの労働者が朝食をとる場として喫茶店が重宝され、常連へのおまけにトーストとピーナッツを添えたのが始まりとされます。

豊橋でも、夜勤明けの客にまかないを出したことがきっかけと伝えられます。いずれも、過酷な労働への地域からの温かいもてなしが原点でした。

今では愛知は全国有数の喫茶店激戦区となり、一日中モーニングを出す店まで現れるなど、独自のサービス文化として定着しています。

もう一つ、日本のコーヒー文化を世界から際立たせているのが「缶コーヒー」と「自動販売機」です。1969(昭和44)年、UCC(上島珈琲)が世界初のミルク入り缶コーヒー「UCCミルクコーヒー」を発売し、コーヒーは「座って飲むもの」から「持ち運べる飲み物」へと一変しました。

さらに1973(昭和48)年、ポッカが冷温両用の自動販売機を開発したことで、夏は冷たく冬は温かいコーヒーを街角でいつでも買える、世界でも珍しいインフラが整います。

当初は甘い缶コーヒーが主流でしたが、嗜好が成熟するにつれて本格的な味が求められ、1994(平成6)年にはUCCから無糖の「UCC BLACK」が登場しました。

自動販売機が普及していない海外では缶コーヒーが長らく流通しませんでしたが、近年は東南アジアを中心に広がりを見せ、日本発の文化が海を渡りつつあります。

茶道の心が世界のコーヒーを変えた

日本のコーヒー文化を語るうえで欠かせないのが、茶道の精神との結びつきです。西洋から来たコーヒーは、日本人の美意識や求道の心というフィルターを通り、繊細で職人的な抽出技術へと磨かれていきました。

「たかが一服、されど一服」という一期一会の心は、個人経営の喫茶店に色濃く受け継がれています。効率を重んじる欧米の多くのカフェに対し、日本の珈琲専門店ではネルドリップやペーパードリップで、細く湯を注ぎ、豆のふくらみを見守りながら一杯ずつ淹れるハンドドリップが極められました。

コーヒー豆が一杯になるまでには、栽培から収穫、加工や選別、焙煎や配合まで気の遠くなるような工程があります。日本の喫茶店のマスターたちは、その生産者の労を思い、注文を受けてから豆を挽き、時間をかけて淹れること自体を、客への誠意と品質へのこだわりの証としてきたのです。

この「一杯に心を込める」職人的な文化は、やがて海を渡り、現代の世界的潮流であるサードウェーブにも影響を与えました。その象徴が、ブルーボトルコーヒー創業者のジェームス・フリーマンです。彼は日本の喫茶店、とりわけ抽出における丁寧さと美学に深く感銘を受け、自らの店づくりの手本としました。

よく通ったとされるのが、東京・渋谷の「茶亭 羽當(ちゃてい はとう)」です。色とりどりのカップが並ぶカウンターで、スタッフが欠点豆を一粒ずつ手作業で取り除く——そんな求道的な光景がそこにはあります。フリーマンはこの一杯ずつ丁寧に淹れる所作を取り入れ、西海岸のモダンなデザインで世界に発信しました。

味の方向性こそ、深煎りで懐かしい喫茶店の味と、浅煎りで果実のような酸味を立たせるサードウェーブとで異なりますが、もてなしと抽出を儀式のように大切にする姿勢は、まさに日本の喫茶店文化が世界にもたらしたものでした。

こうした流れのなかで、国内でも品質向上の動きが加速します。2003(平成15)年には日本スペシャルティコーヒー協会が設立され、高品質なコーヒーのブームが訪れました。

一方で2011年ごろからはコンビニのカウンターコーヒーが広がり、2013年のセブンカフェの大ヒットを機に、挽きたての一杯が誰にとっても身近なものになりました。

日本のコーヒー文化は、外来の飲み物を「焦げ臭い薬」として受け止めた時代から始まり、社会や産業の変化に合わせて姿を変えながら、ついには世界へ波及する独自の様式を築き上げてきました。

超効率的なコンビニコーヒーから、安らぎを与える昭和の純喫茶、芸術的な抽出を極めるスペシャルティコーヒーまでが同じ地平に共存している——これほど重層的で豊かなコーヒーの生態系は、世界でも日本ならではといえるでしょう。

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