サッカーの試合で、選手が突然その場に崩れ落ちることがあります。相手は誰も触れていない。ボールを追って切り返した、ただそれだけの動きです。膝の前十字靭帯、いわゆるACLの断裂は、しばしばこんなふうに、誰にもぶつかられないまま起こります。
なでしこジャパンの清水梨紗選手は、2024年のパリ五輪の初戦で右膝のACLを断裂し、ピッチに戻るまでおよそ400日を要しました。杉田妃和選手も2026年、移籍したばかりのアメリカのクラブで左膝のACLを痛め、そのシーズンを棒に振っています。世界のトップで戦う選手でさえ、この怪我と無縁ではいられません。
女子サッカーの世界では、この前十字靭帯の怪我がとりわけ多いことが、長く知られてきました。なぜ、女性の選手はこれほど膝を痛めてしまうのか。よくある説明は「女性の体は競技に向かない」という宿命論ですが、近年のスポーツ医学がたどり着いた答えは、それとはかなり違います。
ここでは、その怪我がなぜ女性に多いのかを、体の作りから道具・環境、そして予防までを手がかりにほどいていきます。
女性は2〜8倍――数字が語る不均衡
サッカーやバスケットボールでは、女性選手が前十字靭帯を痛める頻度は、同じ競技の男性のおよそ2倍から8倍にのぼると報告されています。サッカーに限れば約2.8倍、バスケットボールでは約3.5倍という数字がよく挙げられます。
しかも、その多くは相手との接触がない「非接触型」です。急な減速や方向転換、ジャンプの着地といった、ありふれた動作のさなかに、膝の中で靭帯が切れてしまいます。
前十字靭帯が断裂するまでの時間は、わずか70ミリ秒ほどとされます。まばたきより速い一瞬に、それは起こります。
怪我が集中する年齢も、女性のほうが早いことが知られています。10代後半、体が競技に慣れてくるまさにその時期に、発生のピークが訪れます。
原因はひとつではありません。体の作り、ホルモン、道具、地面、疲労、そして選手を取り巻く環境まで、いくつもの要素が重なり合って、膝の一点に負担を集めています。
体の作りという土台――骨盤・膝の溝・筋肉のクセ
まず土台になるのは、骨格の違いです。女性は一般に骨盤の幅が広く、その分、太ももの骨が膝に向かって内側へ角度をつけて下りてきます。この角度が大きいほど、力が入ったときに膝が内側へ入り込みやすくなります。いわゆる「膝が内に入る」姿勢で、これが靭帯に負担をかけます。
膝の関節の中にも違いがあります。太ももの骨には靭帯が通る溝がありますが、女性はこの溝が狭い傾向にあります。前十字靭帯そのものも、男性より細いことが多いとされます。狭い通り道に細い靭帯という組み合わせは、ねじれや過度な伸びが加わったときに、靭帯が骨の壁に当たって傷つきやすい状況を作ります。
筋肉の使い方にもクセがあります。膝を守るとき、太ももの裏側にあるハムストリングスが頼りになります。この筋肉は、着地や減速のときにすねの骨を後ろへ引き戻し、前十字靭帯の代わりに膝を支えてくれます。ところが女性は、この裏側の筋肉より先に、太ももの前側の大きな筋肉を強く使う傾向があるとされます。
前側の筋肉はすねの骨を前へ引き出す方向に働くため、これが強く働きすぎると、前十字靭帯に引っぱる力が集中します。ブレーキ役のハムストリングスが間に合わないうちに、アクセル役の前ももを踏み込んでしまう状態です。この主導権のずれが、危険な瞬間を生みやすくします。
だからこそ、切り返しや着地のように、一瞬で大きな力がかかる場面ほど、女性の膝は危うくなります。
ホルモンという揺らぎ、そして体質
女性の体を考えるとき、ホルモンの影響もたびたび話題になります。
前十字靭帯には、女性ホルモンであるエストロゲンを受け取る仕組みが備わっていることが分かっています。試験管の中の実験では、エストロゲンの濃度が上がると、靭帯を作る細胞の働きやコラーゲンの合成が抑えられると報告されています。ホルモンの波によって、靭帯のゆるみ具合が周期的に変わるという指摘もあります。
ただし、月経周期のどの時期に怪我が増えるのかについては、研究によって結果がまちまちで、まだはっきりした結論には至っていません。複数の研究をまとめた検討でも、エビデンスの質は低いと評価され、周期に合わせて特別な対策を取るには慎重であるべきだ、とされています。ホルモンが関わっている可能性は高いものの、いつ・どの程度という部分は、これからの研究を待つ段階です。
体質そのものの個人差も、研究が進んでいます。前十字靭帯の怪我には家族歴が関わることや、コラーゲンに関わる遺伝子の個人差が影響する可能性が調べられています。ただ、これも特定の誰かのリスクを言い当てられる段階ではありません。
道具と地面が、男性仕様だった
ここまでは体の内側の話でした。ところが、女性選手のリスクを押し上げてきた要因は、体の外側にもあります。その代表が、足元のスパイクです。
スパイクやランニングシューズは、長いあいだ男性の足の形を基準に設計され、男性でテストされてきました。女性の足は、単に男性の足を小さくしたものではありません。かかとが狭く、前足部は幅広で、土踏まずのアーチが高く、足の曲がる位置も違います。それでも市場には、男性用と子ども用しかない時期が長く続きました。
業界には「シュリンク・イット・アンド・ピンク・イット(小さくして、ピンクに塗るだけ)」という、皮肉を込めた言い回しがあるほどです。ワールドカップやオリンピックに出るような選手でさえ、男性用や子ども用のスパイクでプレーしてきた、という実情が指摘されています。
この状況を変えようとする動きも出ています。ローラ・ヤングソン氏らが立ち上げたIda Sportsは、女性の足の特徴に合わせたサッカースパイクを専門に手がけています。
スパイクが膝に及ぼす影響は、履き心地だけの問題ではありません。靴底のスタッドが地面に強く食い込みすぎると、切り返しの瞬間に足が地面へロックされ、本来なら足元で逃げるはずのねじれの力が、膝の靭帯へ集中してしまいます。スタッドの長さや形、配置しだいで、このグリップの強さは変わります。男性の動きを基準に作られたスパイクは、女性にとって過剰なグリップになりうる、と考えられています。
アメリカのオレゴン大学の研究チームは、スポーツ用品メーカーのプーマと組み、5年をかけて、女性の動きのデータをもとにした試作スパイクを開発しています。かかとや前足部にかかる圧力を戦略的に逃がし、膝にやさしい動きを促す設計で、その効果の検証が進められています。
足元と同じくらい、プレーする地面の性質も効いてきます。とくに人工芝は、天然芝のように土や草が崩れて力を逃がすことがないため、摩擦が高くなりがちです。ここに深いスタッドのスパイクが食い込むと、足がしっかり固定され、無理な方向転換のときにねじれの力が膝へ集まりやすくなります。
もっとも、人工芝が女性の前十字靭帯の怪我を増やすのかどうかは、まだ議論の途中です。ある系統的な分析では、試合において女性は人工芝で天然芝よりもリスクが高まる一方、男性では差が見られなかったと報告されています。男女をまとめて集計すると、この女性特有の傾向は打ち消されて見えなくなる、という指摘もあります。
一方で、女子のトップリーグを5シーズン追った研究では、人工芝と天然芝で差はなかったとする結果も出ています。影響があるとしても限定的で、結論はこれからというのが現状です。
過密日程と疲れ――守りが利かなくなる瞬間
怪我は、体の作りや道具だけで決まるわけではありません。試合が立て込む過密な日程と、そこでたまっていく疲れも、見過ごせない要因です。
筋肉が疲れてくると、脳からの指令が膝の関節へ伝わり、関節を安定させるまでの連携がうまく働かなくなります。疲れていないときであれば、選手は予測しない動きに対しても、とっさに膝を深く曲げて衝撃を吸収し、身を守ることができます。
ところが疲労がたまると、この守りの反応が鈍り、危険な角度のまま大きな力を靭帯で受け止めてしまう場面が増えるとされます。
いわば、疲れた筋肉は、膝を支える「守りの鎧」としての役目を果たせなくなっていきます。
相手のフェイントに反応して、とっさに方向を変える場面は、とりわけ危険です。頭で判断しながら体を動かす、その負荷が高いときに疲労が重なると、動きの修正が間に合わないまま、膝が最も危ない角度に入ってしまうことがあります。
だからこそ、休養だけでなく、疲れた状態を想定した反応の訓練を、予防のなかに組み込むことが大切だと考えられています。
「女性だから」で終わらせない――環境と格差
ここまで見てきた要因の根っこには、もうひとつ大きな問題が横たわっています。スポーツ医学やサッカー界に残る、男女の格差そのものです。
女性の怪我の多さを、骨盤やホルモンといった「体の弱さ」だけに求める見方に対しては、近年、疑問の声が上がっています。ハーバード大学のGenderSci Labの研究者らは、怪我の発生率を計算するときに広く使われる「アスリート曝露」という指標に、そもそも偏りが潜んでいると指摘しました。
この指標は、ざっくり言えば「選手の人数×練習や試合の回数」で、プレーした時間あたりの怪我の多さを測るものです。ところが女子チームは、男子に比べて登録人数が少ないことが多く、主力選手ほど休む間もなく試合に出続けます。
一人あたりが背負う時間のうち、怪我のリスクが高い試合の割合が、男子より大きくなるということです。この違いを勘定に入れないまま比べると、男女の差は正しく捉えられなくなる、と研究チームは述べています。
実際、女子サッカーの現場では、専門的なトレーナーや充実した医療スタッフ、質の高い練習施設や器具が、男子ほど整っていないことが少なくありません。男子のトップ選手なら日常的に管理される疲労や筋力のわずかな崩れも、女子では見過ごされたまま、過密な日程のなかでプレーを強いられることがあります。
女性の怪我の多さを「女性だから」の一言で片づけてしまうと、こうした環境や格差の問題は覆い隠されてしまいます。膝に負担が集まるのは、女性の体が競技に向かないからではなく、女性の体に合わない道具や地面、日程、支援の乏しさが、ピッチの上で最悪の形で重なった結果だといえます。
防げる、という事実――FIFA 11+の話
ここまで重い話が続きましたが、前向きな事実もあります。前十字靭帯の怪我は、その多くが予防できることが、確かな研究によって裏づけられています。
世界で最も広く使われているのが、FIFA(国際サッカー連盟)が普及させた「FIFA 11+」という準備運動のプログラムです。ジョギングに始まり、ジャンプと正しい着地の練習、体幹やバランスの強化、太ももの裏やお尻の筋力づくりを組み合わせた、15分ほどのメニューです。膝が内へ入るクセを直し、着地の衝撃を筋肉で吸収できるように、神経と筋肉の連携を作り直すことをねらいとしています。
効果は数字にはっきり表れています。女子サッカーを対象にした研究では、このプログラムを続けたチームで、怪我全体がおよそ3割、前十字靭帯の怪我はおよそ4割から5割減ったと報告されています。
大規模な試験では、週に2回以上きちんと続けたグループで、怪我のリスクが最大で半分ほどまで下がりました。効果を引き出せるかどうかは、続けられるかどうか、そして正しい動きで行えるかどうかにかかっています。
子ども向けの「FIFA 11+ Kids」を取り入れた研究では、片足で着地するときに膝が深く曲がるようになり、怪我につながる股関節の過度なひねりが減ったことが確認されています。怪我のピークが10代後半に訪れることを考えると、10歳前後の早い時期から、こうした動きの練習を始める意味は大きいといえます。膝にかかる力に耐えられる体を作るための筋力トレーニングを加えることも、あわせてすすめられています。
課題は、「知っていること」を「実行すること」へどうつなげるかにあります。女性選手のリスクが高いことは広く知られるようになった一方で、予防プログラムを実際に続けている選手は、まだ多くありません。とくに草の根のレベルでは、指導する側が正しいフォームを教える自信を持てなかったり、限られた練習時間のなかで、わずか15分の予防運動が後回しにされたりしがちです。効果がはっきりしているだけに、これを日々の習慣にできるかどうかが、これからの分かれ目になります。
膝を守るために、いま変えられること
サッカーの試合で、選手が誰にも触れられずに崩れ落ちる。その一瞬の裏側には、骨盤や膝の作り、ホルモンの揺らぎ、男性仕様の道具と地面、過密日程による疲れ、そして選手を取り巻く環境の格差が、幾重にも折り重なっています。
女性の前十字靭帯の怪我が多いのは、女性の体がスポーツに向いていないからではありません。体に合わない仕組みが積み重なった結果であり、だからこそ、変えていける余地があります。
足に合ったスパイク、リスクを踏まえた地面の選び方、そして数分の予防運動。ひとつずつ整えていくことが、選手を長い怪我の苦しみから遠ざけ、その力を安心して発揮させる、いちばん確かな道になるはずです。



