早足で駅まで歩いた日の夜、時計のアプリを開くと「心肺機能」の数字が少しだけ動いている。先月より上がっている日もあれば、思い当たる理由がないのに下がっている日もある。
この数字はVO2max、日本語では最大酸素摂取量と呼ばれるもので、体が一分間に取り込んで使える酸素の最大量を、体重1キログラムあたりで表したものです。
かつては呼気を集めるマスクをつけて限界まで走らないと測れなかった値が、いまは屋外を歩いているあいだに勝手に更新されていきます。ここでは、その数字がどうやって作られ、どこまで信じてよくて、どこまで自分で動かせるのかを順にほどいていきます。
マスクなしで酸素を測る――手首の数字ができるまで
VO2maxは肺だけの能力ではありません。肺で酸素を取り込み、心臓が血液を押し出し、血管が運び、最後に筋肉のミトコンドリアが酸素を使ってエネルギーを作る。その一本の経路の通り具合を、ひとつの数値にまとめたものです。
持久系の選手でこの値の上限を決めているのは、心臓が一回の拍動で送り出す血液の量だとされています。ポンプの回転数には限りがあるので、一押しの大きさで差がつくという構図です。
腕時計は、この酸素そのものを測っているわけではありません。見ているのは、速度と心拍数の関係です。同じペースで歩いても心拍が低く収まる人ほど余力が大きい、という関係を手がかりに、限界まで追い込まなくても上限を逆算しています。
Garminの推定はFirstbeat社のアルゴリズムによるもので、ランニングやウォーキング中の速度と心拍のデータから信頼できる区間を拾い、そこから外挿します。
Appleが機械学習の研究として公開している方式は、もう少し込み入っています。心拍が上がる速さ、休んだときに戻る速さといった個人の「クセ」を常微分方程式で表し、そのパラメータをニューラルネットワークで推定する。坂を上り始めたときの反応の形を数式に写し取って、その人専用のモデルを作るような手続きです。
当たる人と、当たりにくい人――誤差には向きがある
推定の精度をまとめたレビューによれば、実測との平均的なずれはおおむね5〜10%の範囲に収まります。ただ、この誤差は誰にでも均等にかかるわけではありません。
Garmin Forerunner 245を実験室の実測値と比べた検証では、中程度に鍛えた人たちのずれは3〜4%ほどと良好だった一方、高度に鍛えた選手では6ml/kg/分ほど低く見積もられていました。
Apple Watch Series 7を対象にした検証でも、体力の高い人は過小に、低い人は過大に出るという同じ向きの偏りが報告されています。
それは、推定モデルが平均的な集団のデータで作られているためです。既製服が平均的な体型に合わせて仕立てられているのと同じで、真ん中から離れた人ほど、寸法が中央へ引き戻されます。その意味で、この数字は他人と見せ合うためのものではありません。同じ人の中で、数週間かけてどちらへ動いているかを見る。それが本来の使い方に近いところです。
暑い日に「体力が落ちた」と出る理由
夏の走り込みで数字が下がって落ち込む人がいますが、多くは体力の問題ではありません。気温が高いと、体は熱を逃がすために皮膚へ血液を回します。心臓の仕事が増え、同じペースでも心拍が上がる。標高の高い場所でも、薄い空気を補うために同じことが起きます。速度と心拍の関係だけを見ているアルゴリズムは、これを体力低下と読み違えます。
Garminの公式マニュアルには、気温22℃超、標高800m超の条件でVO2max推定とトレーニングステータスに補正がかかると明記されています。人体の側では、暑さに対して血漿量が増え発汗が早く始まり、高地では赤血球が増えるという順応が起きます。その適応の進み具合を計算に織り込むことで、環境のせいで不当に数字が下がるのを防いでいます。
一日で大きく動いた数字は、体の変化より、気温や睡眠不足やペース配分のほうがずっとよく説明します。
12万人の記録が示したこと
この指標が健康の話題として注目を集めたきっかけは、2018年に米国クリーブランド・クリニックのグループが JAMA Network Open に発表した大規模な研究でした。
症状に応じてトレッドミル運動負荷試験を受けた122,007人を、追跡期間の中央値8.4年、のべ110万人年にわたって追ったものです。年齢と性別を揃えたうえで心肺機能を5段階に分け、その後の死亡との関係を調べました。
結果は段階的な逆相関でした。心肺機能が高い群ほど死亡率が低く、上位2.5%にあたる最上位群は、そのすぐ下の「高」群と比べてもさらに低いという結果になりました。持久系の運動をやりすぎると心臓に悪いのではないか、という長年の議論に対して、少なくともこの集団では恩恵の頭打ちは見られませんでした。70歳以上の人や高血圧のある人でも、同じ向きの関係が確認されています。
ただしこれは観察研究であり、しかも検査に紹介された患者の集団です。心肺機能が低い人は他の健康上の問題も抱えやすいので、この結果だけで因果を語ることはできません。それでも、心肺機能が年齢や遺伝と違って「あとから変えられる指標」である点が、注目される理由になっています。
18という下限――自立を支える線
VO2maxは、鍛えなければ10年で5〜10%ほど下がっていくとされています。最大心拍数が下がることに加え、筋肉量の減少や毛細血管の減り方といった、末梢側の変化も効いてきます。高齢者の自立を論じてきた総説では、男性で18、女性で15ml/kg/分あたりが、日常生活を一人でこなせるかどうかの目安として挙げられてきました。
この水準を下回ると、階段を上る、買い物袋を提げて歩くといった動作が、その人の上限に近いところで行われるようになります。常に軽い坂を全力で上っているような状態で、余力が残りません。
心肺機能を保つことは、記録を出すためというより、この余白を厚くしておくための備えに近いものです。
同じ20週間で、伸びる人と伸びない人
伸ばせる幅には、生まれつきの差があります。それをはっきり示したのが、1999年に報告されたHERITAGEファミリー研究です。
運動習慣のない481人、98家族を対象に、20週間にわたって完全に管理された自転車エルゴメーターのトレーニングを行い、前後のVO2maxを測りました。平均の伸びは1分あたり約400mlでしたが、個人差が際立っていて、わずかに下がった人から1リットル以上伸びた人までが同じプログラムの中にいました。
家族どうしの似方を解析すると、トレーニングに対する反応性の遺伝率は47%と見積もられ、そのうち半分ほどが母親からの伝達と推定されています。どこまで伸びるかの半分近くは、始める前から決まっているという計算になります。
ただ、伸びが小さかった人が無駄骨だったわけではありません。VO2maxがあまり動かなかった人でも、血圧やインスリンの効きやすさ、体脂肪といった指標には改善が見られたことが報告されています。強度や頻度を変えると反応が出る場合もあります。
「両極化が最適」はどこまで言えるのか
伸ばし方の議論でよく登場するのが、ポラライズド・トレーニングです。全体の75〜80%を会話ができる低強度に充て、15〜20%をかなりきついインターバルに割き、その中間の強度を意図的に避ける、という配分を指します。
2024年に発表された系統的レビューとメタ解析では、この配分が有利になる場面はかなり限定的でした。VO2maxで統計的な優位が出たのは12週未満の短い介入と、高度に鍛えられた競技者に限られ、タイムトライアルや閾値の指標では他の配分と差がありません。ピラミッド型との直接比較では差が消え、市民ランナーではむしろピラミッド型のほうが向く可能性も示されています。
流派に共通しているのは、低強度の土台を厚く取ることです。分かれ目は中間の強度をどう扱うかで、そこはまだ決着していません。
そもそもVO2maxが高いことと、速く走れることは別の話です。1991年に発表されたモデルは、この値が有酸素能力の上限を決める一方で、実際のタイムは乳酸閾値とランニングエコノミーとの組み合わせで決まることを示しました。上限は入場券であって、順位を決めるものではありません。
数字より、傾きを見る
手首の数字は、実験室の値そのものではありません。平均的な集団のモデルを通した推定であり、体力が中央から離れた人ほど誤差が大きく、暑さや標高や睡眠でも簡単に揺れます。
それでも、数週間から数ヶ月のあいだにどちらへ傾いているかは、かなり素直に映ります。上がっていれば、心臓と血管と筋肉のどこかで確かに何かが変わっている。下がり続けているなら、生活のどこかを見直す合図として使えます。
一日単位で一喜一憂するより、季節をまたいで眺めるほうが、この指標は役に立ってくれます。なお、持病のある方や体調に不安のある方、これまで運動の習慣がなかった方は、強度を上げる前に無理のない範囲から始め、必要に応じて医師に相談しながら進めると安心です。



