■ 時代に挑戦する者達
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このコーナーでは、困難な時代において、しがらみにとらわれず新しい試みに挑戦する人たちがいます。時代を読み、自分の信じる道へ邁進する人たちに迫ります。
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ヴィーガンレストランAIN SOPH. 代表 白井 由紀 氏
第1回「本来の自分に戻る」AIN SOPH.が誕生した背景とは」
銀座の街角に細長いユニークな形をしたビルでヴィーガンレストランを営むAIN SOPH. 。この当時は非常に珍しかったヴィーガンレストランをこの場所で開業し、現在では複数の店舗を経営する代表の白井由紀氏。バイタリティ溢れる、その生い立ちについてお伺いしました。
【ヴィーガンレストランAIN SOPH. 代表 白井 由紀 氏 1/4】
▼三姉妹の末っ子という立場は幸運なことが多かった
――お生まれと簡単な生い立ちを教えてください。
白井:千葉県の松戸市で生まれて市川で育ちました。
父はアパレルに携わる会社でサラリーマンとして働いていたんですけど、私が大学生の時にリストラになったことがきっかけで独立して、ジバイシイやランバンなど、海外のブランドを国内で展開するライセンスビジネスの仕事を20年以上しています。
母はずっと専業主婦だったんですけど、父がクビになったこともあって、老人ホームでヘルパーとして働きだして、初めての仕事だったのにあっという間に施設長になって、その後は独立して訪問介護の施設運営を始めました。
今は姉がその介護周りの仕事を引き継いでいますが、母自身は子どもの放課後保育のNPOをやっています。
82歳で朝起きて支度をしてという生活をしていて、体力も落ちるし大変なのに、本当に凄いなと思います。
――ご兄弟はいらっしゃいますか?
白井:姉が2人います。
父も母も姉に対しては親として初めてのことだらけで、ケンカして揉めたり関係がこじれたりしてるのを見ていて、子どもながらに大変だなって思っていた記憶があります。
私は姉と歳が離れていることもあって、その揉め事に巻き込まれたことはなかったし、そういうのを見て育ってるんで、私自身は母に怒られないで育ったというか。
下の子あるあるなのかもしれないですけど、姉の時はダメだって言ってたことが、私の時は最初からOKだったり、やっちゃダメなことも見て学んでいたから結構自由にやらせてもらって、私にとってはそれが生きやすくてすごく幸運でした。
――どんな子ども時代を過ごしていましたか?
白井:幼稚園は近所の私立で、小中は普通の公立、高校も歩いて5分の一番近くの女子高に通っていました。
歌うことが好きで、ずっと合唱部だったのですが、歌うことを通じて学ぶことも多くて、何かに気持ちを乗せるのは今の仕事にも繋がっているような気がしています。
ただ勉強とか習い事はあまり好きじゃなくて、姉が通っていたから無理矢理通わされたピアノとか、スパルタ指導だった水泳は全然楽しくなかったですね。
どうしても水泳に行きたくなくて、友達と行ったことにして、頭を公園の水で濡らして帰ったこともありました(笑)。
絵も習っていましたが、そこは絵の具の使い方とか、これを書いたら?とかは言ってくれるんですけど、基本的には好きなように時間を過ごさせてもらっていました。
1枚書き終わるまで辛抱強く待ってくれたり、学校や部活で疲れて寝てしまった時もそのまま何も言わずに寝かせてくれたり、寛容というか私にとってはありがたい場所でした。
――小さい時から習い事もいろいろされていたんですね。
白井:でも運動は苦手だったし、あまり外に遊びに行くこともしなかったですね。
姉も塾に通い出したり、母もPTAなどで忙しくて、帰ってきても誰もいないことも多かったんです。
だから縁側のある廊下で寝転がってボーッと庭を見たり、猫とずっとお喋りをしたり、そういう時間がたくさんあったことで、夜まで自由な時間を過ごしてリフレッシュできていたような気がします。
▼素直な性格が好転し、自然にチャンスが舞い込んだ学生時代
――今は経営者ですから、幼少期からリーダータイプでしたか?
白井:全然そんなことないですね。本当に人の後ろにいつも隠れてるみたいなタイプで、真面目にはしてたと思うんですけど、勉強自体は好きじゃなかったです。
でも気の合う先生に気にかけてもらえるようなことはよくあって、学校の成績がギリギリの時は上にしてもらうみたいな、成績も5はつけられないけど、4にしてあげようみたいな感じは、今思うとありました。
――校則が嫌で反抗したりとかもなかったですか?
白井:そういう反発心とか反骨心とかは全然なかったですね。
他の人からこうした方がいいんじゃない?って言われたことに対してあまり悩むことがなくて、きっと素直だったんですよね。小学校の時に通知表にも素直って書いてありましたし。
思春期も両親に反抗した記憶もないですし、本当に自分の世界の中で生きているみたいなタイプなんだと思います。
高校受験も幸運だったというか、結構自分よりランクは上の学校で、そこに行きたかったとかでもなかったんですけど、そこの副校長と母がたまたま知り合いになって、受けてみなよって言われて一般受験で受けたら、あまり勉強とかもしてなかったのに受かったんですよね。
本当はどうかはわからないですけど、その時は副校長が入れてくれたんじゃないかなって思ってました。
――きっと勉強をしっかりされていたんじゃないかなと思います。
白井:静かに机に向かって勉強して、授業態度自体は真面目だったと思います。
でも実際は参考書も進んでないし、勉強ができたわけじゃないのに16クラスある中の一番進学クラスに入ることができました。
その後先生が薦めてくれた女子大の教育学部に入って、中高の社会科の教員免許も取れましたし、すごく熱心に教えていただいて、教育実習をさせてもらえた経験は素晴らしかったなと今でも思います。
就職も金融機関で3年ほど勤めましたが、それも父が同窓会でそこの人事部長とたまたま隣になって、娘が今就職活動をしていてみたいな話から、受けてみたら?って感じで、気付いたらもうそこの総合職で働くことで話が進んでました(笑)。
一般的には誰もが通るであろう受験や就活での焦りや変な緊張感とかを感じることなく思春期が過ごせたので、本当に幸運だったなと思います。
▼父と姉と仕事をした、独立に向けての大切な準備期間
――その後お父様の会社で一緒に働きはじめたそうですね。
白井:そうですね。私、将来は社長をやりたいってずっと漠然と思っていて、大学生の時に父が会社を辞めて、本当はそこで一緒に働きたかったんですけど、3年は外でどこか勤めてこいって父に言われていたので、外での会社勤めも経験しました。
姉と一緒に父の手伝いをしていましたが、若いから売上がないことに対して何の不安もないし、それが父にとっても1人で抱え込まずに済んで良かったというか、父の持っていた運もあったとは思いますけど、楽しく働くことでいいキャッチボールができて、仕事としても大きな話がどんどん入るようになって、会社がすごく成長して儲かるようになったんですよね。
父と姉と一緒に働けたのは本当に楽しくて、独立して仕事するってこういうことなんだなっていうのをあの時肌で感じることができたと思います。
つづく