NEWS LETTER Vol.017 株式会社マゼンタース 宮本雅世氏

NEWS LETTER Vol.017 株式会社マゼンタース 宮本雅世氏 - HAPIVERI

■ 時代に挑戦する者達

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このコーナーでは、困難な時代において、しがらみにとらわれず新しい試みに挑戦する人たちがいます。時代を読み、自分の信じる道へ邁進する人たちに迫ります。
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株式会社マゼンタース 宮本雅世氏

第1回「グルテンフリーのお店が誕生するまで」


今回訪れたのは、千葉県の鎌取町という住宅街にあるグルテンフリーのクレープ屋「マゼンタース」。地方の商業施設やロードサイトのチェーン店ではなく、住宅街に溶け込むように営業しているクレープ屋さんで、朝からひっきりなしにお客様が訪れる人気店です。このクレープ屋さんはグルテンフリーのメニューしかない全国でも珍しいお店で、体に優しいおやつを楽しんでほしい、というコンセプトのもと、クレープを中心にケーキやコーヒーも提供しています。実際に取材中も早い時間からお客様が訪れ、地元に愛されている印象を強く感じました。


経営者の宮本雅世氏に、経緯とお店の歴史についてお伺いながら、非常に感動するインタビューとなりました。

【株式会社マゼンタース 宮本雅世氏 1/3】


▼食が豊かな街で育った子供時代

――ご出身や家族構成などを教えてください。

宮本:生まれは千葉県の銚子市です。
家族は父母、母は亡くなって10年経つのですが、あとは2歳上と4歳上の姉がいます。
姉とは結構仲が良くて、同じ千葉県に住んでいるので、今でも会ったり話をしたりしています。


――幼少時代はどんなお子さんでしたか?

宮本:たぶんすごく内向的だったかなと思っていて。
あまり公園とか外で遊ぶのが好きではなくて、ずっと家の中で塗り絵をしたり、テレビでドラマとかを見て過ごすことが多かったです。


――物を作るのが好きでしたか?

宮本:いや、そんなことはなかったですね。
ただ小さい頃から料理には興味があって、お母さんが台所で料理している様子を近くで見るのがすごく好きでした。
銚子は有名な漁港があるので、近所の方から魚をよくもらうんですね。
魚を捌いたお刺身だったり、煮物だったり、酢漬け、佃煮など、割と日持ちできるようなものを母は作っていました。
市内にヤマサとヒゲタという大きな醤油工場が二つある街で、その中でもヤマサ醤油の工場の隣にある小学校にずっと通っていました。
大きな醤油工場が二つあるぐらいなので、街全体がすごく醤油の香りがするんですね。醤油の香りに包まれながら、勉強しているみたいな環境でした。

あとはキャベツ畑が本当に多いですね。
高台にキャベツ畑があって、そこから銚子の海を一望できて、キャベツ畑と海が目の前に広がるすごく景色のいい所で育ちました。


――ご両親はどんなお仕事をされていたんですか?

宮本:祖父の代から自営業で鉄工所をやっていて、父はそれを継いで、母も鉄工所を手伝っていました。
父も母も本当にずっと休みもなかったので、家族で旅行に行った記憶もないですし、お金のことや雇っている従業員さんの話を両親がよくしていて、自営業は本当に大変だなって思っていた記憶があります。


▼早い時期で知った大人の世界

――勉強はどうでしたか?

宮本:勉強は嫌いではなかったので普通だったと思います。
塾とかも行ったことがなかったし、親から勉強を強要されたこともなかったですね。


――進学も地元ですか?

宮本:はい、中学校は普通の公立で、県大会に出場するような結構強豪のソフトテニス部に所属していました。
ただ、スポーツ少女だったかというとそういうわけでもなく、当時は何か部活をやらなきゃダメな雰囲気だったので、とりあえず入っていた部分はあります。
そこから中学卒業のタイミングで、姉がいた東京に私も出て、高田馬場にある通信制の高校に入学しました。


――通信制の高校も中学卒業と同時に上京というのも、どちらも珍しい選択ですね。

宮本:そうかもしれません。
幼稚園の時くらいからずっと学校という場があまり好きじゃなくて、働きたい気持ちもすごくあったんです。
「わからないけどなんとなく行きたくない」という気持ちをずっと持っていて、でも行かなきゃいけないので、幼稚園から中学校まで頑張って行っていました。

みんな同じことを一斉にさせられるのが、たぶん嫌だったんだと思います。
でも自分で仕事を始めてからはそういうこともなくなったので、今が一番生きやすいなって思います。

――クレープ屋さんでは5年もアルバイトを経験されたんですね。

宮本:はい、通信校で勉強をしながら、千葉の市川にあったクレープ屋さんで、5年ほどアルバイトを続けました。 仕事は面白くて、自分はクレープを作るのがすごく好きなんだなって、その時思いました。
生地を焼いて、生クリームを乗せて、巻いて包んで、そのままお客様に渡すっていう、その一連の作業がすごく楽しかったですね。
その楽しかった思い出が、今の仕事にも繋がっているんだと思います。


――今のお仕事に繋がるきっかけはありましたか?

宮本:そのクレープ屋さんは、ある会社の新しい店舗として作られたお店で、社長は年輩の男性だったのですが、一緒に働く姿を間近で見る機会がよくありました。

社長が材料の発注業務をしたり、社長に会いに来た他のスタッフと話をしていたりと、それまでクレープ屋さんを設立することは考えたこともなかったんですけど、高校生ながらにその姿には刺激をもらって勉強にもなりました。
これが、お店の経営や設立を自分事として考え始めたきっかけかもしれないです。


▼食事と健康と経営

――高校を卒業した後は、どんな進路に進まれましたか?

宮本:年頃ということもありメイクなどにも興味があって、高校を卒業した後は、都内で化粧品を作る技術を学ぶ専門学校に入りました。

その頃はDHCとかが、すごくメディアに出てきた時期で、このサプリメントを摂ったら肌が綺麗になるとか、身体の調子が良くなるとか、自分の身体の変化に気付くのが楽しくなって、自分の身体にも同じように興味を持つようになりました。


――どんなサプリメントを摂っていたんですか?

宮本:趣味に近い感じでとにかくいろんなサプリメントなどを試しました。


腸にいいお茶とかを、すごくいろんな種類飲んだり、ちょっと危険なサプリメントも試して、体調が悪くなってしまった経験もあります(笑)。


世の中にはいろんな健康に関係する商品があるんだなと思いましたし、なんでも自分で試してみて、合うか合わないかを調べて勉強していました。


――就職先はどのような業界だったのですか?

宮本:お店を立ち上げるまでに二つ会社を経験しています。
1社目は化粧品の通信販売の会社で、こちらには3年ほど勤めました。

化粧品と同じぐらい健康食品も扱っている会社で、美容や化粧品よりも健康食品の方に興味が出てきて、健康に関わる商材などを見たり、扱ったりするのがすごく楽しかったですね。
そこから自分の身体の事をすごく気にするようになりました。


――2社目はどういった会社ですか?

宮本:2社目は百貨店で、高島屋の人事部に配属されたんですが、その頃からちょっと起業したいなっていう気持ちがあったんです。

表の販売とかじゃなくて、会社を運営する側というか、裏方として、企業ってどんなふうに人を動かしたり、人材育成をしたり、どう経営していくんだろうっていう疑問があって、そこの部署に入れる会社を選びました。
こちらも3年勤めて、2015年に今のお店を立ち上げました。


――マゼンタースは、今までの人生を全て濃縮したようなお店ですね
お店を立ち上げる時、この場所は当時から決めていたんですか?


宮本:はい、いろいろと場所は探していたんですけど、姉がこの鎌取に家を買って、私も姉の家に来る機会が結構あったのですが、たまたまこの良い場所をご紹介いただいたことがきっかけです。


つづく

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